こんにちは。ライターの斎藤充博です。僕はふだん企業オウンドメディアを中心に「ライターが前面に出る記事」を企画・制作しています。
記事タイトルをクリックすると、ライターの顔写真がドンと出てきて「こんにちは。○○○○(ライター名)です。突然ですが……」って感じの文章から始まる記事がありますよね。ああいうやつです。すっかりweb記事の一つのジャンルとして定着してきました。
僕は記事の中で本当にやりたい放題やっています。パジャマ姿でメリーゴーランドに乗ったり。マッサージ機と対決したり。企業に行って聞きたいことを聞いたり。意味がわからないかもしれませんが、かなり楽しいです。
やりたい放題やるという仕事
ただ、これって全部「仕事」としてやっていることなんですよ。僕に「やりたい放題やって楽しんでいる様子を記事にしてほしい」というオーダーが企業からあります。ちゃんと原稿料ももらえます。企業の人が僕のやりたい放題のアシスタントをしてくれることもあります。
なんで企業がこんなものをわざわざオーダーするのか。楽しい記事を企業オウンドメディアに載せると、企業のイメージアップにつながるからです。
企業って、だいたい基本的には固いわけです。でも、企業は顧客と接点を持ちたい。企業と顧客の中間で、なにか楽しいことをやっている人がほしい。そんな目論見の結果、僕がやりたい放題やっている記事が作られているのです。
さて、これらの記事は仕事なので「やりたい放題」の中にも、企業のオーダー、つまり「縛り」がでてきます。
たとえば……。
- 登場する商品は企業で取り扱っているものを使ってほしい
- 競合企業を連想させるような要素を記事の中に入れないでほしい
- 読者がポジティブな気持ちになれるようにしてほしい
などなど。「縛り」と書いてしまいましたが、当たり前といえば、当たり前のことですよね。
その他にも、締切があったり、文字数制限があったり、編集者のチェックが入ったり、取材先にガッツリ修正されたり。これも全部当たり前のことなんですが。
やりたい放題が整えられていく
そもそも僕個人の「やりたい放題」なんてグチャグチャなものです。そこに力が加わっていって、だんだんと形が整えられて、みんながたのしく読める「メディアの記事」に仕上がっていくわけです。
ところが、みんなが楽しく読める「メディアの記事」は当初の「やりたい放題」にくらべるとだいぶエネルギーを失ってしまっていることが多いと思います。
たとえば、牧場で飲む牛乳ってものすごくおいしいですが、そのままではその辺のコンビニで売ることができない。いろんな処理を経て安全な製品になっているわけです。
もちろんそれは社会から必要とされる物なのですが、たまにみんなを牧場に連れて行きたい。搾りたての牛乳を飲ませたい。仕事で記事をで書けば書くほど、そういう気持ちが出てきてしまいます。
個人ブログなら書きたいことを書きたいままに書ける
そんなときに僕が書くのは「個人ブログ」です。個人ブログというのは自分の衝動のままに好きなことが書ける。
「当たり前だろう」という声が聞こえてきそうなのですが、ふだんライターの仕事をしていると「個人ブログってヤバいな」ということに改めて気づくのです。個人ブログのヤバさについて説明させてください。
本当に好きなことを書ける
どこからも執筆オーダーはありません。好きなテーマについて好きなだけ書けます。その結果、読む人はほとんどいません。穴を掘って叫んでいるみたいで、よく考えてみたら不気味です。
最高のタイミングで書ける
仕事だと、締切やオーダーのタイミングによって、がんばってネタをひねり出しているようなこともあるのですが、個人ブログにはそんなことは一切ありません。僕が本当に書く動機が高まっていないと、書けないのです。
原稿料がない
これが最大のヤバさかかもしれません。お金がもらえない以上、執筆者はなにかそこに楽しみを見出していやっていることになります。繰り返しになりますが「誰にも求められていないことを」「締切が設定されていないのに」書くんです。
そして無へ
仕事で書く記事はいろいろな目的があります。さっき述べたような企業とお客さんの橋渡しとか。自分にとっては原稿料とか。これに対してブログは無です。好きなことを好きなように書くだけで、あとは完全な無……。ヤバい……。
個人ブログを書き続けている人は気高い変態
個人ブログを続けている人、変態じゃないでしょうか? 変態呼ばわりしてしまいましたが、もちろん僕もそうです。
でも、一人きりで無しか残らない行為って、ある意味「気高い」と思いませんか。さっきは変態って書いてしまいましたが、変態と気高さって紙一重だと思います。
僕は人がただ好きなことを書いているブログを読むのも好きです。人の考えをのぞき見しておもしろがっているような感じです。もちろん読んでいてもなにも残りません。こっちも無です。書いている方も変態なら観ている方も変態だ。いや、変態じゃなくて、気高い趣味と言っておきましょう……。
ちなみに、こういう単に好きなことを書いている無のブログってけっこう探すのむずかしいです。人はなかなか無のブログを続けられず、いつのまにか中途半端に見返りを求めようとしてきます。そうなると、もう半分仕事でやっているようなものなので、おもしろくないですね。
危険な楽しみがそこかしこにあふれている
そろそろブログの楽しみ方がわかってきたでしょうか。もともとインターネットはアマチュアのもので、こういう危険な楽しみ方が基本にあったと思います。
ところがインターネットにどんどん資本と人間が入ってきて、それがだんだんとマイナーな存在になってきました。この傾向はまだまだ進行していくでしょう。
でも、どれだけインターネットが健全な空間になっても、僕は「無」で「危険」な個人ブログを書き続けるし、この趣味はほそぼそと残っていくものと思われます。
最近の健全で誰でも楽しめるインターネットに飽きたら、そんな遊びに目を向けてみるのもいいんじゃないのかなあ、と思うのです。